スペシャリストでなく、プロフェッショナルを目指す

誰でもプロフェッショナルを目指せる

今の時代において付加価値を高めるとは、繰り返すが、顧客の立場に立ってゼロベースで問題を定義し、その問題を解決できることである。それをやる人間がIT分野でのプロフェッショナル、ということになる。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080324/296830/

問題を正しいアプローチで根本的に解決できるかどうかがポイントになってくるのかな。
概ね同意。

社会に出たら答えのない世界が待っている。実際、企業が遭遇する問題のほとんどには答えがない。社会に出たら答えのない世界しか待ってないのに、学校では答えを覚え込む訓練だけをする。日本の教育が世界に通用する人材を養成できなくなって久しいが、その最大の理由は、学校が世間の現実と事ほど左様に乖離(かいり)してしまったからである。

 インターネットを使えば情報はいくらでも出てくるという時代に、日本の学校教育はむなしいものになっている。日本の学校で教えるべきは、「Googleで検索しても答えが出てこない問題をどう解くか」ということである。教師は生徒にこう言わないといけない。「指導要領の中に答えなどない。答えはクラスのみんなで考えて見つけましょう」。

学校の教育で役に立つことも多々あるけど、「答えが出ない問題を解決する」スキルを如何に身につけれるかは学んでないな。

世の中には「アバウト正しいレベル」で済むケースと、「100%に限りなく近いレベル」を要求されるケースの両方がある。プロフェッショナルは、かなり早い段階でこの違いを認識して手を打つ。

 社会に出て仕事を始めればすぐ分かることだが、「アバウト(おおよそ)正しい」というレベルで済む仕事がある。間違ったアプローチもしたのだが、おおよそは正しく、仕事に携わった本人が情熱を注いだため、やり切ってしまったというケースだ。

 しかし「アバウト正しい」が通用せず、「100%に限りなく近いレベル」にしないといけないケースもある。原子力発電や食品の加工プロセスがその例だ。わずかなミスが起きたら大変な事態を招きかねない。

 この違いを認識することが、的確な判断につながる。アバウト正しいケースなのか、それとも100%を要求されるケースなのかによって、アプローチが変わってくるからだ。

これはよく分かる。
常に「100%に限りなく近いレベル」にこだわって仕事してたら、純粋に時間がいくらあっても足りないでしょ。一日が200時間くらいあったらいいけど。

やっていることが好きかどうかは重要である。フィルがよく使っていた例はレストランの厨房の話だった。「レストランを開きたいと思ったとしよう。その時、厨房に1日23時間入ってメニューを改善できる人間か、就業時間の8時間で帰りたくなる人間か、よく考えてから決めるとよい。ずっと厨房に居られるくらい料理が好きな人間でなければレストランを始めるべきではない」。

 簡単に成功できることなど何もない。けれども、好きな仕事、好きなことに集中して取り組めば、成功への可能性は大きくなる。

まあ興味がないことに取り組んでも時間の無駄だな〜。
基本ですね。

この記事結構長いけど、全部一度読んでみることをお薦めする。